<品川領大井村>
 江戸時代、武蔵国荏原郡は、麻布・品川・馬込・世田谷・六郷の五領から成り立っていた。品川領は幕府直轄領や寺社地の多い土地でした。南品川宿、北品川宿、二日五日市村、上大崎村、下大崎村、居木橋村、谷山村、桐ヶ谷村、戸越村、上蛇窪村、下蛇窪村、大井村、中延村、小山村、それに享保七年(1722)、品川宿に歩行(かち)新宿が加わった、三宿12村体制でした。天保時代(1830)、において大井村は、1,657石の石高で、荏原郡五領94ヶ村中最大の村でした。

<大井村名主 櫻井家・大野家>
大井村は、品川区域のなかで最大の村で、徳川幕府は郡代に支配させた。
天正19年(1591)初代関東郡代、伊奈備前守忠次は荏原郡大井村の名主に櫻井長三郎を任じて元禄七年(1694)八代桜井伊兵衛まで櫻井家が勤めた。以後は大野家が単独で名主役を勤めた。

<大井の旧家十六苗>
天正年間(1580年代)拾六苗と云って居住者が16軒住んでいたと言う。此の事は新編武蔵風土記にも記してある。現在その後裔を捜しても、旧家である事は解かっても拾六苗と言う古事に対する確証を得る事は困難である。拾六苗を憶想すると、
 大野・櫻井・増山・芝崎・秋本・大場・安藤・山崎・酒井・市野・神山・萩原・相原・鈴木・吉田・小池、等であるが、此の外に、倉本・長谷川・西村・安田・宇田川・平林・渡辺・宝田・大井田・高松・村田、などの家柄も相当の旧家である。
 平成13年の倉田(4丁目)町会の名簿には、櫻井(8軒)・安藤(12軒)・相原(6軒)・西村(3軒)・平林(2軒)・宝田(4軒)、これ等の旧家の流れと思われる。又、大野氏は鹿島神社宮司大野氏が後裔と思われる。